ビリーシーンが最初のバンド、タラスを結成する。ギターよりも派手な音で、ドラムよりもボリュームがデカく、そして取り敢えず速い。音数が多い。それは正にそれまでのエレクトリックベースの概念を覆すアプローチだったのだ。一気に注目の的となった。事実、そのデビューアルバムが発売された年に、ドイツ人ギタリストのマイケル・シェンカーから自身のグループ「マイケル・シェンカー・グループ」への参加を要請されている。
これはイギリスでセッションをするだけに終わっているが、その4年後の1983年には、同様にマイケル・シェンカーからUFOのツアーに参加してくれないかと要請され、同行している。
この当時には既にビリーの派手なベースサウンドとプレイは、ロック界ではかなりの波紋を呼んでいたのである。「ベースのヴァン・ヘイレン」という称号もこの時期に有名になった
もっとも、このことに関してビリーは「ベースのヴァン・ヘイレンなんてみんなが勝手に言ってただけで、僕はヴァン・ヘイレンのことを『ギターのビリー・シーン』って言ってたよ(笑)」と語っている。
そしてタラスが徐々に有名になってくると、実際にヴァン・ヘイレンのツアーのオープニングアクトを勤めたりと、ビリーの名も有名になっていった。
その後デヴィッド・リー・ロスのソログループにベーシストとして参加。ギタリストとのソロアレンジバトルなどで、有名になっていったバンドではあったが、しかし、あくまで自分のソロプロジェクトを望んでいたデヴィッド・リー・ロスにとって、そんな2人のスタイルは徐々に鬱陶しく感じられていたようで、次第にプレイの制限や指示をするようになり、それに嫌気が差したビリーはアルバムを2枚作っただけで脱退、新しいバンドを作ることを決意する。
そして、それまでの音楽活動で得た人脈を利用して探し当てたメンバーが、エリック・マーティン、ポール・ギルバート、パット・トーピーだった。Mr.BIGが誕生した瞬間だった。
これは今までビリーが歩んできたバンドの音楽性や経験値を集約したようなバンドで、あくまでも激しいロックンロールでありながら、ソウルフルな歌を最重要視する、というコンセプトで結成された。そんなMr.BIGだったから、このメンバーは正に最適な人選だったのだ。そしてMr.BIGは、祖国アメリカのみならず、極東の島国、日本で爆発的に売れた。
ビリーの構想通り、あくまでエリック・マーティンの歌を重視しながら、インストゥルメンタルパートではポール・ギルバートのド派手なプレイと、ソリッドなパット・トーピーのドラミングにビリーが絡む、という凄まじさが人気を呼び、一躍スターダムにのし上がった。ビリーのプレイは、タラス時代のようにひたすら弾きまくるでもなく、誰かのサポートをする時のように黒子に徹することなく、あくまで出るところではめちゃくちゃに出る、引くところでは引く、という実にメリハリのあるもので、その派手なサウンドとは裏腹に貫禄すら感じられるほどだ。
ビリーは言う。
「何だかんだ言っても、結局最も大事なのは曲だ。テクニックはそれを表現する為のモノに過ぎない。」と。
MR.BIGの曲は、ビリーのベースが目立ちまくりなのかといえば、そうでもなく、よく聴けばボーカルのバックではシンプルにルートを刻んでいるだけ、という箇所も多い。
ビリーはやはり「ベーシスト」なのだ。世界中のどんなミュージシャンよりも速く派手に弾く事も出来る。要するに「色んなことが出来る」ベーシストだ、ということだ。
しかし、そんな彼もスラップは苦手らしく、「僕が若い頃は、白人は『親指テクニック』は必要とされなかったんだ」なんて言っている。ビリーのスラップ奏法はお目にかかったことはないだろう。(最近リリースしたCDではスラップ奏法も披露しているがwこれがうまかったりするからw)
今もなお現役で活動している元気なベースおっさん。ぜひとも一度ご視聴くださいw
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